こんにちは!日本はだんだんと涼しい日が増えて秋めいてきました。皆様いかがお過ごしですか?さて、今日は可能動詞に使われる助詞「が」と「を」の違いを考えてみたいと思います。
絵が描ける?絵を描ける?
もともと、「話せる」のような動詞の可能形の前に置く助詞は「が」とされていました。しかし、現在は「が」と「を」の両方が使われるケースが増えています。「私は絵が描ける」と「私は絵を描ける」は、どちらも普通に使われています。
「が」は「美味しい焼肉が食べられるお店」のように主語が不明で、一般的な内容によく使われます。また、話し手が主語かつ言い切りの短文の場合は「が」を使うことが多いです。そのため、「私は絵が描ける」と「私は絵を描ける」では、普通に使われているとはいえ、やはり後者は若干ぎこちない感じがします。
一方で、「を」は、文中の主語に「が」が使われていたり、文章が長く複雑だったりする場合によく見られます。例えば、「あの魔女が魔法が使えないなんて!」は、主語と目的語に「が」が連続して使われていて、少しわかりづらいです。これを解決するため、「あの魔女が魔法を使えないなんて!」と言い換えた方がスッキリしませんか?また、「今日発売の雑誌が、もう本屋を三軒くらい回っているんですが、未だに見つけられないんです」の「雑誌」を目的格としてあらかじめ明示したければ、「今日発売の雑誌を、もう本屋を三軒くらい回っているんですが、未だに見つけられないんです」とすることができます。
ちなみに、動詞の可能形ではなく、「〜ができる」の場合は今も「が」の方が一般的です。「私は日本語をできる」は、意味は通じますが、不自然に聞こえます。
「が」と「を」はどのように使い分けられる?
では、「が」と「を」がどちらも自然、且つ正しいとされる場合、「が」と「を」の間にニュアンスの違いはあるのでしょうか?
一つ目は、「が」は一般的な状況で、「を」は具体的な場面で使われる傾向があります。
この公園ではお酒が飲めない。
この公園では一般的に飲酒が禁止されている。この公園ではお酒を飲めない。
お酒を飲もうとしている特定の誰かが、何らかの理由でお酒を飲むことができない状況。
二つ目は、同じ行為を指す場合でも、「が」を使うと目的語の「ピアノ」が強調されている印象を受けるのに対し、「を」を使うと「ピアノ」の強調が薄れ、「弾けない」という動詞にも同じくらい焦点が当てられる感じがします。
- さっちゃんは、ピアノが弾けません。
- さっちゃんは、ピアノを弾けません。
「が」から「を」への変化は現在進行形であり、年配の人は「が」を、若い世代は「を」をより多く使う傾向があるようです。
どうして「が」から「を」に変わったの?
「が」から「を」への移行には、いくつかの要因が影響していると考えられています。
まず、「を」が使われる理由である、「が」の連続を避けるためというもの。また、文中の「が」と可能動詞が離れている場合に、動詞と目的語の関係を明確にするために「を」を使うというもの。
それから、「をすることができる」という表現を縮めて「をできる」と言うようになったというもの。「出来杉くんならこの難しい仕事をすることができる」が短くなって「出来杉くんならこの難しい仕事をできる」と変化するのは自然な流れであると言えます。とはいえ、この場合は「難しい仕事ができる」の方が自然です。
さらに、目的語を指す「が」はそもそもが特定の動詞にしか使われないレアケースなので、より汎用性が高い「を」に吸収されつつあるのだという説もあります。
真偽の程は定かではありませんが、英語教育の影響という面白い説もあります。日本では英語を学ぶ際に、目的語には「を」をつけて訳すように教えられます。I eat meat は「肉を食べる」になりますが、これが可能形の I can eat meat になるとそのまま「肉を食べられる」と訳してしまい、この言い方が定着して「を」を多用するようになったという説です。
というわけで、我々は今、「が」の弱体化と「を」の台頭を目撃しているわけですが、現時点ではやはり長い伝統を持つ「が」を使った方が自然なケースが多いのではないかと思います。今後、助詞の使い方がどのように変わっていくのか、要注目であります
English
Hello! Japan is gradually turning into autumn with cooler and cooler days. How are you all doing? Today, I would like to consider the difference between the particles が and を used with verbs in the potential form.
絵が描ける or 絵を描ける?
Originally, が was the case-marking particle to be placed before the potential form of a verb such as 話せる. However, nowadays both が and を are increasingly used. Both 私は絵が描ける (I can draw) and 私は絵を描ける (I can draw) are commonly used.
が is often used for general content where the subject is unclear, such as 美味しい焼肉が食べられるお店 (a restaurant where you can eat delicious yakiniku). Also, が is often used in short declarative sentences where the speaker is the subject. Therefore, between 私は絵が描けます!and 私は絵を描けます!, the latter still seems slightly unnatural, even though both are commonly used.
On the other hand, を is often seen when が is already used as the subject in a sentence or when the sentence is long and complex. For example, あの魔女が魔法が使えないなんて!(That witch can’t use magic!) is a little unclear because が is consecutively used for both the subject and the object. To solve this, it might be clearer if we say あの魔女が魔法を使えないなんて!.
Also, if you want to specify 雑誌 (magazine) as the object case in 今日発売の雑誌が、もう本屋を三軒くらい回っているんですが、未だに見つけられないんです, you can say, 今日発売の雑誌を、もう本屋を三軒くらい回っているんですが、未だに見つけられないんです.
が is still more common in the case of ができる rather than the potential form of the verb. 私は日本語をできる (I can speak Japanese) is understandable, but sounds unnatural.
How to use が and を differently?
So, when both が and を are considered natural and correct, is there a nuance difference between them?
First, が tends to be used in general situations, while を tends to be used in specific situations.
この公園ではお酒が飲めない。
Drinking is generally forbidden in this park.この公園ではお酒を飲めない
This implies that a specific person who is trying to drink alcohol cannot do so for some reason.Translation: We can’t drink alcohol in this park.
Second, even when both referring to the action, が emphasize the object ピアノ (piano), while を seems to reduce the emphasis on ピアノ and and focus equally on the verb 弾けない (can’t play).
- さっちゃんは、ピアノが弾けません。
- さっちゃんは、ピアノを弾けません。
Translation: Sacchan can’t play the piano.
The change from が to を is ongoing, and older people tend to use が and the younger generation using を more often.
Why did が change to を?
There are several reasons thought to influence the shift from が to を.
First, as mentioned above, を is used to avoid the repetition of が in the sentence. Also, when が and the potential verb are far apart in a sentence, を is used to clarify the relationship between the verb and the object.
And also, the expression をすることができる has been shortened to をできる. It is natural to see that 出来杉くんならこの難しい仕事をすることができる (Dekisugi-kun can do this difficult job) is shortened to 出来杉くんならこの難しい仕事をできる. However, in this case, 難しい仕事ができる sounds more natural.
Moreover, there is a theory that が for objects is a rare case where it is used only with certain verbs, so it is being absorbed into the more versatile を.
There is also an interesting theory, although it’s uncertain if it’s true, English education has an influence. In Japan, when learning English, students are taught to add を to the object of the sentence. ‘I eat meat’ is translated to 肉を食べる, and ‘I can eat meat’ becomes directly 肉を食べられる, and this expression has become more common and used frequently.
So, now we are witnessing the rise of を, but currently I think that there are still many cases where using long-standing が feels more natural. How the use of particles will change in the future is something to watch closely
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